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ごあいさつ
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代表者 吉田秋夫
埼玉県立不動ヶ岡高校・早稲田予備校・日本大学法学部卒業・ハワイ大学留学・1973年7月よりDUTY FREEに勤務後1988年3月ESL MASTERを設立、FIジャーナリストの川井氏(女優鈴木保奈美の夫)などの留学のお手伝いをはじめ正規留学300人ほど手がける。1989年に日本で4つの語学学校を立ち上げ、現在に至る。
1949年新潟で生まれ、父の仕事の関係で5才から北海道歌志内市に移り住み、中学2年生14才の時に、やはり仕事の関係で埼玉県行田市に移りました。高校時代は埼玉県加須市まで通学し、大学時代は、飯田橋に住み1973年からホノルルに住んでいます。
私は、北海道に住んでいる時、よく母親が“乞食”を家の中入れて、食事をさせていました。その時の母親の”笑顔〝を今でも忘れることができません。本当に仏のように美しい笑顔でした。その時は私は、”乞食“のにおい、身なりで判断しとても気持ちが悪いので家をすぐ出て、母親はなんて気持ちの悪い事をするのだろうとちょっと軽蔑していました。
しかし大人になった今は、親の気持ちが手に取るようにわかります。
“人に親切にするってなんて気持ちのいいことだろう”といまになって、ようやく理解できるようになりました。 現在、留学のお仕事に携っていて、どれだけ“この母の無償の愛の行為”が役にたっているかわかりません。特に最近、自分の仕事に対して、やっと楽しさと意義がわかってきました。
20年以上前のことですが、私の友人の友人の息子・高校生がオーストラリアの高校に留学しているが、思った英語とはちょっと違う英語なので、ハワイの高校に転校したいので、お手伝いをして欲しいと言われました。
私は、留学をお手伝いした経験もなく自信はありませんでしたが、他に頼る人もいないのでぜひ引き受けて欲しいとのことで、結局引き受ける事にしました。
お手伝いをしているうちに、この高校生のうれしい顔を時々見ると、本当に心から充実感を感じました。いろいろな仕事をしてきましたが、他の仕事とは心の充足感がちょっと違うのです。
また、そのずっと後のことですが、広島から親子が私の事務所に尋ねて来て、ぜひこの子をハワイに留学させたいと親が言うので、お話を聞いたら、“中学3年生から、1年間ほど家にいてどこも行かないのでたいへん困っていると言われました”その子はまったく話をしないので、何をどうして良いのか、本当に困りました。1日高校体験留学も済み、その子は、結局、一言も喋ることなく、日本に帰国しました。
何の連絡もなく1ヶ月が過ぎました。その後親から連絡があり、子供が興味があるので、ぜひハワイに留学させたいと言われました。そしてハワイのセントルイス高校のESLのクラスに入学しました。初めは慣れなくてたいへんだったようです。
しかし持ち前の負けん気の強さでクラスの順位がどんどん上がってきました。何回も成績が優秀で表彰されました。表彰式にスポンサーとして何回か参加しました。日本からの生徒で表彰される方はほとんどいないため、(何十人か、日本人の留学生は在学していましたが)その分だけ優越感を感じさせていただきました。
“この瞬間は本当にこのような仕事をさせていただき、言葉に表現できないくらい感激しました”
学校からは、本土の大学に、入学することを勧められたのですが、結局ハワイ大学に落ち着きました。
また、セントルイスの高校の卒業式に、“母親が日本から来られ涙を流しながら喜んでいたのが印象的でした。私はその経緯を良く知っていますので、私も母親の涙が伝染したらしく目頭が熱くなりました”おそらく、母親にはこのような晴れ晴れとした日が来るとは、夢にも思わなかったと思います。
また、この日も、私の人生で忘れがたい感動した1日となりました。
(仕事冥利に尽きます)
このようないろいろな経験から、最後に残された全エネルギーを、この留学の仕事に費やそうと意を新たに強く決意している次第です。学問だけではなく、人を敬い、また人から愛される、魅力のある人間形成を目的として、お手伝いしたい所存です。
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